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それが自分にとっての奥義であると、ザリスはその瞬間、確信していた。



全身を高ぶらせ続ける、下半身の胎動。だがそれは、今やザリスの心のあり様を根本で支える原動力になり始めていた。
熱を基点とする、発熱を常態とする精神。
鼓動が加速する。それでいて、彼女の精神状態はひどく安定していた。
高速状態で安定した精神と肉体。流れ出す血液は全身に酸素を供給し、うねるような熱の波が女の身体を沸き立たせる。
高揚と、緊張。戦闘においてつきまとう精神の変容の中、しかし同時に、その心が酷く静かな様態に置かれている事にザリスは気付いていた。森閑とした湖面の上、静寂に満ちた死帯の如く、風を切り裂く勢いのザリスはある境地に達しつつあったのだ。



バラバラに飛散する車椅子。背後から迫り来る熱線。が、絶体絶命の窮地において、ザリスの心に泰然と根を下ろした大木は、急速な生長を始めていた。
宙に投げ出されたザリスは、そのまま手を前に突き出し前傾姿勢をとると地表すれすれに掌を接近させ・・・接触させる。肘がばねの様に沈み、次の瞬間伸びきった腕がザリスの全身を高みへと押しやる。

黒い巨人の破壊光線が魔力を宿した車椅子を破壊し、人間一人分の「手ごたえ」をメテオラに与えていた。そしてそれは、理性無き破壊の巨人にとって致命的な隙を与えていた。

腕の力のみで高く飛び上がった、ザリスの肉体。
倒立の姿勢のまま、ザリスは重力に従い落下していく。








メテオラの理性と感覚は、既に消失していた。
もはや理由も失われた、意味すら存在しない巨人の変質は、しかし彼の本質的な部分・・・・・・「ただ、前進する」という点のみは完全に残していた。
故に、機械の如く、現象と化して漆黒は疾走した。眼前の全てをなぎ倒し、加速し、蹂躙し、そして前に足を踏み出す為に。

邪魔なものを駆逐する。前方の邪魔なものはことごとく拳と脚と熱の光で消滅させる。
今しがたもまた、邪魔な障害物を破壊した。
そうして、メテオラはなんの憂いも無く前進を続け、


突如としてその眼前に降り立った奇怪な女を見て、即座にこぶしを振り上げた。
感情が無い故に。タイムラグなど存在しない。機械に隙など無い。メテオラはその刹那、障害物を粉砕できたはずだった。
だというのに、どうしたことか。
その拳が、何故か遅れた。
そしてそれこそが、致命的な要因だった。

眼前の女は奇妙な姿勢で倒立していた。両手を地に着け、しかし両足は力無く折りたたまれており、均等でない姿勢は重心を下げ、女の腕に過負荷をかけている。
そのはずなのに、女の腕は僅かたりとも震えは無く、確かな安定感で全身を支えている。
ずり下がったローブがペチコートごと捲れており、女としては致命的な体勢である。されど地表近くから僅かに覗くその表情に迷いは無い。まるで大樹海の最奥のような闇と静寂が、女の瞳に浮かんでいた。
メテオラは、あらゆる感覚を、感性を消失させているにもかかわらず、自身が動揺しているのを確かに「感」じた。
減速。気圧された巨人の前進に、あろうことか遅滞が発生した。
ぐるりと、腕の力だけで女の全身が回転した。
両腕が交差され、撓む腕が軋み、力が大地に集約されるかのようにその地点を中心に静謐が拡大していく。巨人が、両腕を前方で交差させた。
防御の姿勢を、此処に来て巨人は初めてとったのだ。





車椅子で生活する人間というのは、車輪を腕のみの力で回さねばならないために腕力が凡人よりも発達しやすいといわれている。
特に車椅子競技などで鍛えられた障害者、車椅子バスケや車椅子マラソンなどといった、健常者のそれよりもある種過酷な性質をはらむ競技の選手たちは、その腕力において健常者たちを遥かに凌駕しているという。


幼少期に下肢に障害を負い、以来修行と戦闘のほぼ全てにおいて車椅子で望まねばならなかった女魔術師ザリスは、必然的に過酷な環境下での車椅子移動の習熟を強いられた。
超高速で疾駆する車椅子マラソンを凌駕する全力疾走。
激しい激突とコンセントレーションを要する腕の切れ。
そして、障害物や悪路を制覇する、車輪をおさえつけるための制御力。
十年にも及ぶ過酷な車椅子生活は、ザリスに驚異的な腕力を与えていた。


魔術師ゆえに、不要と割り切っていた腕力。だがここにきて、ザリスは間違いなく、己の力を全て出し切ることこそが勝利の必要条件なのだと理解した。
尊き膀胱が、今頭上に掲げられている。
高みで安定するこの熱量は、いまザリスの体内を駆け巡り、重力によって完全な安定を見ている。
ザリスは、蓄えられ続けた熱量が、完全な安定と共にその前進を駆け巡るのを感じる。同時に、肉体を支える腕、大地に根付いたかのような両腕が燃え上がるような熱を持つ。
今ザリスは大地に生える巨木である。大地と融和し、森羅と共にあるザリスの前にある万象は、即ち彼女の一部であるとさえ言えた。
ザリスの世界が、そこにあった。


眼前の、さかさまに映る世界を見よ。
なんと茫漠にして矮小な光景か。空はこれほどまでに広く、底知れぬ虚無を湛えている。
天には無限の土と生、そこにあるのは卑小な、されど無限に連なる輝きである。

おお、天上よ、天下よ。この世界に我らは独り、されど全天に満つる星のように輝く我こそは、尊き一瞬の瞬きに他ならぬ。

我は卑小にして偉大。汝は矮小にして広大。



ザリスはそして、世界を認識した。
収束する熱。
拡散する熱。
渦を巻き混沌を生み出し、そしてまた虚無へと帰る連綿と続く有と無の営み、円環を生み出し続けるウロボロスの摂理。


天には熱を。
地には力を。


魔女はそして眼前の虚ろを見る。 巨人よ、世界を亡くした者よ。
今貴様に、世界を教えてやろう。


熱く輝け我が膀胱。
唸りをあげろ我が尿道
ここに見せるは森羅万象(どとう)の摂理(おうぎ)。


始原に刻め。子宮よ震えよ。





天上天下唯我独尊(オルガンローデ)!!!!』