獣欲

屠殺彦がヒーローソードの一切を吸い尽くした瞬間、敗北したかに見えたヒーローソードの真価が発揮された。

否、厳密に言えば彼は確かに敗北していたのだ。だが彼が演じていた必殺獣の役割(ロール)は物語的な意味を持たない、単純な実力差による敗北を許さなかった。
魔術と剣、相反する力を併せ持つヒーローソードの能力は、奇しくもあるいは必然的に整と負の性質を反発させて敵を消滅させる必殺獣の能力と合致していた。
必殺獣は伝承の中で、まずは自分達を作り出した上位世界の神々に反逆し、これを全て消滅させていた。これなる言い伝えに従って、自己の全てを屠殺彦という存在に取り込まれ、全要素をいわば体内で支配下に置かれつつあったヒーローソードは反逆を開始した。
屠殺彦はただひたすら自己を拡充せんと進撃を開始しており、既にひとりの少女に狙いを定めていた。少女はなすすべなく吸収されるかと思われたがその時、屠殺彦の内部で勇者は革命を起こす。
その記憶・技術・肉体の一片に至るまでを吸い取られようとしていたヒーローソードは、その吸収の過程で反撃を行った。

覚醒した勇者の精神は屠殺彦の単純極まりない精神構造にまず肉体に刻み付けてきた剣術の記憶を叩き込む。屠殺彦の小山のような肉体では為しえない記憶の流入にショック症状を起こす精神。そこにすかさず解き放たれたのは魔術の架空論理構造。
バベリック・レゾリューション!!
必殺獣の名にして技である絶叫と共に、ヒーローソードの前に完全なる勝利への道が開かれた。
虚実が入り混じる混濁した記憶の波動に耐え切れず、屠殺彦の精神は千々に乱れて裂けていった。
ヒーローソードはいまや肉体の主導権を完全に握っていた。
逆転した勝敗。

屠殺彦の肉体に、ヒーローソードの精神を備える新たなる参加者は、眼前で呆然として立つ少女を改めて視認する。

ヒーローソードとしては、このバトルロイヤルで勝ち抜くためには女であろうとも容赦無く倒すべき立場であることは理解している。
しかし、だがしかし。

このような可憐な、か弱い少女を理不尽に叩き潰してしまっていいものだろうか。
今のヒーローソードは屠殺彦の戦闘能力をそのまま自分のものにしている。19の参加者の中でもかなり上位に位置しているはずだった。

このまま襲い掛かるのはどうにも気が引ける。
とりあえず話しかけてみることから始めようか。

そう考えたヒーローソードの思考はまず正常といえたが、そんな彼にとって大きな誤算が三つあった。
ひとつは、千々に乱れて雲散霧消した屠殺彦の精神は未だ薄弱ながらも活動を停止していなかった事。精神の隅に押しやられ、通常の知性なら自我を保つ事すらできないほどの規模まで精神構造を縮小されても、彼の単純性、単細胞性が彼の生存を許していたのだ。

もうひとつが、屠殺彦の接近を素早く察知し、外野からは分からぬ理由で屠殺彦が急停止するまでっ少女の前に躍り出て颯爽と救い出すタイミングを窺っていた右腕に魔剣を宿す青年の存在である。
彼はとある理由により少女に思いを寄せていた。出て行く機会を逸した彼は、今もなお屠殺彦の肉体を持つヒーローソードを観察している。

そして最後のひとつ。
それは、

「屠殺彦様っ」

眼前の少女フィアマが、一目で屠殺彦に恋をしてしまったということである。