ワンダリング・チェイサー

魔女である、とされる前提条件として、魔法魔術の類が使えるというものがある。
この点において、ザリスはこの定義には当てはまる。
ザリスの扱う車椅子は車輪のシャフトを中心として放射状に鋼の支柱が張り巡らされており、それは魔術の基礎円陣(エンジン)である六虻星を描いている。
かような術具、すなわち杖に相当する魔術の媒介を、ザリスは車椅子に代えて使用していた。

杖にして車椅子。攻防移動が一体となった優れたザリスの一部であり、その速度も並みの車椅子と比して(いやそれどころか障害者レースのための競技用車椅子と比較しても)圧倒的に速い。

だが。

だがしかし。
ザリスを追跡するその怪物は、その『圧倒的』を更に圧倒する。

一歩。
ただの一歩、その前進が、大地を揺るがす。
大きく、広く、長く。決して鋭くは無く、素早くは無く、むしろ鈍重そうにさえ見えるその一歩は、されど凄まじいまでの激しさと巨大さでもって一歩だけで圧倒的な距離を稼ぐ。
それはそう、『巨大さ』のアドバンテージ。
例えば、亜音速で飛行する戦闘機が巨大怪獣の腕の一振りで叩き落されるかのような、それはダイナミックに過ぎるスケールの違い。

巨人メテオラは、前進と共に、『大柄』な身体を『巨躯』に、『巨躯』を『巨体』へと変貌させていく。

そう、この鋼の巨人は、あろうことか歩みを進めるたびにその肉体を巨大化させているのだ。
一歩。また一歩。
その一歩ごとに、凄まじい加速を見せる。ザリスの一定した速度では、必ず追いつかれる、そう彼女に確信させるほどに、それは圧倒的な進撃だった!

ザリスは逃げた。それは逃走だった。
だが同時に、それは闘争でもあった。

彼女の本質・・・無様な逃走をもってして苛烈な闘争へと意識を切り替える、醜態と高潔な精神の融合。

無様ゆえにこそ輝きを増す、ザリスという輝き。
この魔女は、無様を晒す中でこそ、本来以上の力を発揮しうるのである。
そしてまた・・・ザリスは激しく振動する車椅子に刺激される下腹部が熱を持ち始めているのを感じていた。彼女は追い込まれていた。
通常の人類の膀胱の厚さは1.5cm程度だが、この厚さは尿が蓄積されるにつれて薄くなる。 満タン時には3mmまで薄くなり、この場合まれに衝撃で破裂する事がある。
もし仮に魔術で加速して速度をあげた場合、車椅子の衝撃が激しくなり、『恐るべき事』が起きる可能性があった。そのような危険は、決して冒せない。


膀胱の容量は、成人で平均して500ミリリットル程度である。個人差を鑑みても約250〜600ミリリットル程度。
だがしかし、このような俗説もある。
どこでも立小便ができる男性と比べ、女性のほうが、普段から我慢することが多いため、容量も大きく、小柄な女性でも1リットル以上我慢できる人もいる。これを俗に「貴婦人膀胱」と呼ぶ。

そして。
ザリスはその車椅子での生活という特殊な状況下で育った為に、膀胱の容量が極めて大きかった。
元来の才能・・・『貴婦人膀胱』に加えたその環境条件は、ザリスの膀胱容量を通常人類のそれよりも遥かな高みへと押しやる事に成功していた。


最大容量1.5リットル。

それが、ザリスの『高貴なる魔女膀胱』のスペックである。



ザリスの膀胱を圧迫する熱量の波は、現在1.4リットルに達しようとする所だった。だがしかし、それはザリスの余裕を意味しない。
限界にややとどかぬとはいえ、途方も無い量の水分が熱を持ってザリスを攻め立てる。
その苦痛たるや、尋常のものではない。
背後からは圧倒的な速度と質量を持った怪物のプレッシャー。
このときのザリスの胸中は、恐らく余人に解説するまでも無いものであっただろう。


ザリスは身も凍るような恐怖の中、熱さに身を震わせながら冷や汗を流すという異常な体験を味わいつつも、何故かその後頭部の、首の辺りに近い地点がチリチリと焦げ付くような感覚を覚えていた。
そしてザリスは、何故だかは自分でも分からず、両手の傍にあるレバーを倒して、車椅子の両の車輪を強制的に分離していた。

当然、慣性に従い車椅子の本体は前のめりに地面に落下(というか滑空)していき、車輪は後方へと取り残されていく。
絶望的な苦境において、しかしザリスはこれこそが自分の奥義であると確信していた。
背後で絶望が音を立てて吼え猛る。

凄絶な熱量が巨人の口から解き放たれる。「メテオラ砲」の爆熱が無防備なザリスを一直線の軌道をとって襲う。



溢れる熱の中で、ザリスの膀胱がたぷん、と音を立てた。

・・・12/19