襲撃


まくろ=こすもす=りーんは、その身を濃霧の中に隠して密やかにその機会を窺っていた。
屠殺彦とフィアマの邂逅時点で、まくろは既に両者が激突した結果生き残るのは高確率で屠殺彦であろうことを予測していた。
全参加者の能力、戦術、性格などを加味した上で吟味、まくろにとって相性のいい敵、悪い敵をピックアップし、事前にどのように立ち回り、どの敵とどのような順番で戦うのが最適手なのか。
まくろの入念な計算によれば、最初に組するべき相手は屠殺彦だった。
屠殺彦という恐るべき難敵に対するために、まくろはあらゆる攻撃の威力を減衰させる霧の防壁を三重に纏い、万全の防備を整えて物陰に隠れた。
この迷路のような星見の塔の内部には至る所に由来の知れぬオブジェクトが存在し、隠れ場所には事欠かないのである。
偵察行為や様子見には最適であると同時、自分がどこから見られているかわからないということでもあるのだが、ことまくろに関してその心配は一切無い。
彼女独自の技術である霧の防壁三重奏は鉄壁にして不可視の遁行術である。彼女の存在は未だに誰一人として知らないはずであった。

まくろは静かに、フィアマが屠殺彦に吸われるのを待ち続けていた。
ところがどうだろう。両者は戦うどころか、むしろフィアマのほうが浮き足立って何事かを叫んでいる。
まくろはイライラし始めた。さっさと戦え。段取りが悪いのが一番嫌いだ。
まくろは飛び出して防壁を解除し、炸撃の呪文を唱えていた。
とても短気だった。

だが、この時点で冷静さを失っていた彼女は、物陰で屠殺彦とフィアマを監視していた自分を、さらに監視している人物の存在に気付いていなかった。
否、その存在は予想できていたし、その対策としての霧の防壁であったのだが、防備を解いてしまってはまるで意味は無かった。

まくろの両腕から燃え盛る炎が解き放たれようとする直前、予想だにしない方向からの斬撃が彼女を切り裂いた。
背後からの衝撃に前のめりに倒れ臥す。緩慢になっていく視界の情景の中、驚愕にひきつった顔でこちらを見つめる二つの視線がある。完全な予想外の事態に驚きたいのは、しかしむしろまくろのほうだというのに。
まくろの頭蓋を、再度衝撃が貫いて、まくろの意識はそこで断絶した。
・・・15/19

仮面

響き渡る叫びに振り返ったフィアマが見たものは、凄まじい形相で倒れ行く少女と、倒れ臥した少女の頭に追い討ちの剣を突き立てた男が荒く息を吐いている場面だった。
がばりと顔を上げて男が叫んだ。
「無事か!?」
誰が?!などと返す余裕も無しに男がフィアマの両肩をむんずと掴み、激しく揺さぶってくる。力強い握力にフィアマは思わず顔を顰め、
「何処にも痛いところは無いか?! あと屠殺彦にもなにか変なことを、」
「変なことって何よっ、屠殺彦様になに言いがかりつけてんのっていうかアンタの手が痛いからさっさと離しなさいよこの変態っ」
凄まじい嫌悪感が背筋を走る。一分一秒でも触れていたくない、そんな感情がスパークした。
拒絶された男は一瞬ひどく傷付いたような顔をして、そして勢い屠殺彦にすがりついたフィアマを見てさらに顔をゆがめた。
なぜ。

なんでこの男はこんなに悲しそうな顔をするのよ。
フィアマは、その時胸の奥に生じたしこりのような、正体不明の違和感を捕まえようとして、
そして失敗した。
その時、何故か彼女はもう二度と手に入らない、とても大切なものを取り逃してしまったような、凄まじい喪失感を味わっていた。
何か取り返しのつかないことをしてしまったような、何か大事な事に失敗したような、でもその何かがわからない、そういう感覚だった。
そしてまた、それを再び掴む機会は二度と無いだろうと、言い知れぬ不安感を覚えながらフィアマは予感するのだった。



一方、フィアマとデスキャベツが無言で視線を交わしている間、屠殺彦の中のヒーローソードはかつて無い混乱の最中にあった。
デスキャベツはヒーローソードとは知己である。この戦いに挑む前、同じ馬車に乗り合わせ、再会した時には共に全力で刃を合わせようと約束を交わした好敵手である。
それが、このような違った姿で再会し、尚且つ間にこのフィアマという良く分からない少女を挟むことになるとは思いも拠らないことだった。
その上。ヒーローソードはげんなりと、心の中で嘆息する。
あのデスキャベツの動揺ぶりは、恐らくフィアマに惚れている。
ヒーローソードとてそうした男女の機微にそれほど長けているわけではないが、あの時霧のまくろを打ち倒したデスキャベツの必死さから類推するのはそう困難ではない。
が、それと同時に、フィアマの気持ちがデスキャベツでなく、自分の方に向けられているのも明らかだった。
正確に言えば、フィアマが好意を抱いているのは自分ではない。この肉体の本来の所有者である屠殺彦である。
中身が違うからといってフィアマが好意を抱いている対象が自分ではないと断定していいのか、すこしヒーローソードには自信が無かったが、しかし彼は自身の本来の肉体は元の、今は存在しない肉体であるという拠り所を失いたくなかった。
全く異質な肉体に宿り続ける不安定な精神であるヒーローソードは、自分の精神を不必要に脆弱にさせるような思考は慎重に避けていた。
そのため、フィアマが好きなのは飽くまでも屠殺彦の以前の精神だと決め付けることにした。

そうなると、この場には非常にややこしい三角関係が形成される事になる。
デスキャベツはフィアマが好き。
フィアマは屠殺彦が好き。
屠殺彦は既に存在せず、その中のヒーローソードはデスキャベツと好敵手同士。
加えてデスキャベツは屠殺彦を危険な存在だと認識している。


この場で自分の正体を明かしてしまってはどうか?
しかしその場合フィアマが友好的に接している理由が無くなり敵対関係に陥るかもしれないし(屠殺彦の精神を殺した仇として恨まれる可能性すらありうるのだ)、そうなればフィアマに味方するであろうデスキャベツとも不本意な形で決着をつけることにもなりかねない。
何より、ヒーローソードはこの場においては、というよりこの戦いの全体に於いて、自分の精神が屠殺彦の中に隠れ潜んでいる事は隠し通すべきだという予感がひしひしとしていた。
それがどのような有利に繋がるかは未だに彼にも想像がつかなかったが、しかし『秘密』とはいつなんどき切り札に化けるか分からないものなのだ。
このような序盤で、手の内を全て晒すべきではない。ヒーローソードの理性は、自分の生存を隠し通す事に決定した。

つまり。
この場で、今。ヒーローソードは屠殺彦を演じたまま、二人を騙してこの場を切り抜けなければならないのだ!

血の雨

遡る事、数分前。
巨大なる怪異、リジェネレイト・スライムの包囲攻撃によって長期戦を強いられる事になった進撃のメテオラは、絶え間ない頭痛に苛まされていた。
前進と殴打以外の一切の行動が出来ず、また考える事のできない不滅の骸骨メテオラは、殴っても殴っても道を空ける事のない不定形で灰色の壁がなんなのかを考えようとはしなかった。
殴りつけるたびにぶよぶよと震えるそれが、徐々に弱ってきているのを感じていたからだ。
だがしかし、己の拳が半透明のそれにぶち当たる度に、なにか言い知れぬ悪寒が背筋を走るのを、確かに感じてもいたのである。

リジェネレイト・スライムは再生し続ける無尽の肉体で一定空間を包囲することによって、その空間内部に脱出不可能という恐怖と絶望を植え付ける能力を持っていた。
その生態の副次作用とでもいうべきそのおそるべき能力は、メテオラに思わぬ効果を齎していた。

進撃するという純粋な意思のみで己の全てを成り立たせている巨人は、先に進めないという絶望を突きつけられたことによってその肉体の変質をも促していた。
メテオラの心身は絶望に徐々に徐々に汚染されていった。
そうして、リジェネレイト・スライムの戦略意図の通りにメテオラは敗北する、筈だった。
メテオラは停止し、朽ち果てリジェネレイト・スライムの中に取り込まれる・・・・・・その予定が。

・・・・・・豪!!


咆哮が天を覆うセピアの膜を引き裂いた。
リジェネレイト・スライムは自分の内側にある存在が、今このときをもって圧倒的な存在感を放つ、先ほどまでとは全く異質なモノに変化してしまった事に気付いた。
黒々とした体躯、ところどころの身体の各部が尖り今までの骸骨のシルエットとはかけ離れた姿になっていく。
ぎらりと煌く眼光が真っ直ぐに直上を貫く。見られている、という恐怖がその巨大な体積を駆け巡るよりも速く、メテオラの口から、赤い閃光が解き放たれる。
リジェネレイト・スライムは音も無く爆ぜた。
血の雨が降り、分散させて隠しておいた臓器が落下していく。

http://d.hatena.ne.jp/rakujitu/20080511/1210502866

そしてリジェネレイト・スライムは絶命し、決定的な異変が開始されたのである。